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文化財補助事業(甲州市)

神部神社本殿(山梨県指定文化財・建造物)屋根葺き替え


(1)指定年月日:昭和58年3月10日

 

(2)修理の内容:本殿檜皮葺部が腐食により浸水してきており、軒付全体に雨水がまわっている。屋根の腐食が進んできており、葺き替え時期に来ているため、葺き替え工事を行う必要がある。

 

(3)修理期間:令和4年4月から令和5年3月まで

 

(4)総事業費と財源内訳

    総事業費 19,800,000円

    財源内訳 県補助金  9,900,000円(50%)

    市補助金  4,950,000円(25%)

    神社負担金 4,950,000円

 

(5)文化財の概要

 神部神社は貞観2年(860)の草創と伝え、岩間明神と称し、境内に温泉が湧いていることから湯山大明神とも呼ばれている。本殿は一間社流造、檜皮葺で、昭和49年(1974)に解体修理され、その際に発見された棟札により元亀2年(1571)に建てられたことが判明した。

 なお、江戸時代の神仏混淆期の名残として、金山彦命の本地仏である金銅製十一面観音立像を安置している。

絹本著色不動明王像(山梨県指定文化財・絵画)保存修理


(1)指定年月日:平成25年7月11日

 

(2)修理の内容:本画は平安時代後期(12世紀)の作と目される大変古い絵画である一方、古くから大善寺の行事の際に架けられ、柴燈護摩の煤で全面にわたり大きく損傷している。煤の付着を原因とする損傷については、画面全体をクリーニングして除去しなければ絹地にさらに負担がかかり、県下に類をみない古様の不動明王像の大幅が損なわれるため、保存修理が必要である。

 

(3)修理期間:令和3年4月1日から令和8年3月31日まで(5か年)

 

(4)総事業費と財源内訳

  ①総事業費 24,223,100円

  ②財源内訳

   ●令和3年度     2,766,500円

     住友財団助成金 2,000,000円

     県補助金            0円

     市補助金            0円

     寺負担金      766,500円

   ●令和4年度     5,394,400円

     住友財団助成金 2,000,000円

     県補助金    1,500,000円

     市補助金    1,000,000円

     寺負担金      894,400円

   ●令和5年度     5,348,200円

     住友財団助成金 2,000,000円

     県補助金    1,500,000円

     市補助金    1,000,000円

     寺負担金      848,200円

   ●令和6年度     5,349,300円

     住友財団助成金 2,000,000円

     県補助金    1,500,000円

     市補助金    1,000,000円

     寺負担金      849,300円

    ●令和7年度     5,364,700円

     住友財団助成金 2,000,000円

     県補助金    1,500,000円

     市補助金    1,000,000円

     寺負担金      864,700円

 

   ★令和3年度~令和7年度合計

     住友財団助成金  10,000,000円

     県補助金      6,000,000円

     市補助金      4,000,000円

     寺負担金      4,223,100円

     総事業費     24,223,100円

 

(5)文化財の概要

 本図は、縦445.6㎝、横339.8㎝と非常に大きな作品で、江戸時代に横田汝圭が描いたほぼ同じ大きさの複製画が附属する。

 画面裏に江戸時代の延享5年(1745)に纏め書きした修理銘があり、それによると第1回の修理が鎌倉時代の嘉元4年(1306)、その後に室町時代の延徳元年(1489)、江戸時代の寛永12年(1635)、そして延享5年(寛延元年=1748)と4回の修理を重ね、現在まで奇蹟的に残り伝えられてきた不動明王の独尊像である。

 本図は稀にみる不動明王画像の大幅で、度重なる修理が施されてきたこともあり、画面全体に著しい損傷を受けているのが惜しまれるが、図様を明らかにすることが全く不可能ではない。本図の製作年代は損傷の多い現状から判定するのは困難であるが、画面裏の修理の年次を書き並べた中に、一条天皇(在位986―1011)の時に描かれた旨の伝承が書き留められ、実際に平安時代中期(11世紀)には金剛峯寺本の国宝五大力菩薩像のような大幅も描かれており、この時期を本図の制作の上限とするのも全く考えられなくはない。次に本図の第一回の修理が嘉元4年(1306)に行われているところから、当然に制作はこれより遡り、平安時代後期(12世紀)、下っても鎌倉時代初期(12―13世紀)が下限として考えられる。